
| 006:パクリについて |
倉木麻衣が、昨年(99年)末に彗星のごとく登場し、わずか半年でシングル4枚、アルバム1枚をリリースし、メガヒットを記録。一気にトップアーティストの仲間入りを果たしたことは記憶に新しい。
しかし、その陰で囁かれている悪い話も見過ごせない。「ポスト宇多田ヒカル」。これだけならまだしも、「倉木麻衣は宇多田ヒカルのパクリだ」といったことまで言われ始めた。もっとも「パクリ」は、「HEY!HEY!HEY!」で宇多田ヒカルがゲスト出演した時にダウンタウンの2人が彼女に煽ったことから一種の「騒動」にまで発展してしまったのだが。
その騒動以前にも、倉木麻衣を宇多田ヒカルのパクリだということで悪く思っている輩はけっこういるようだ。これは倉木麻衣のみならず、最近では矢井田瞳が椎名林檎のパクリだとも言われているし、一昔前にはHysteric BlueがJUDY AND MARYのパクリだとも言われていた。
だが、ちょっと待ってほしい。
そもそも、パクリとは何なのか?
辞書で調べると、「パクリ」と名詞形では載っておらず、動詞の「ぱくる」として載っていた。「ぱくる…(俗)かっぱらう・盗み取る」とある(集英社国語辞典)。これを音楽に当てはめると、「他人の音楽を盗むこと」となる。つまり、他人が作った曲の歌詞なり演奏なりメロディーなりを真似て、自分の曲に取り入れることである。
となると、倉木麻衣は宇多田ヒカルの何をパクったのだろうか?
まず考えられるのが、「声」。もちろん両者とも全く同じ声ではないが、微妙に似ている部分がある。ウィスパーボイスとでも言おうか。低音が似ていると感じた(「Love, Day After Tomorrow」の最初の部分など特に)。あとは、同じR&Bというジャンルにおける曲風であろう。そして、全米デビュー済みという環境。奇しくも、日本でのデビューは丸1年違いの12月と、これまた似ている。
そう考えると、倉木麻衣が宇多田ヒカルのパクリと言われても致し方ないのかもしれない。「パクリ」という言葉は乱暴だとは思うが。
何歩か譲って、倉木麻衣の「パクリ」を認めるとしよう。
しかし、だから何? である。
他人の曲風なり声質などを真似て曲を出すことは、そんなに悪いことなのだろうか。
私はそうは思わない。パクっても良質の楽曲が作れると考えるからだ。なぜか。
まず、単なる二番煎じの曲が売れるとは思えないからだ(カバー曲が売れるのはまた別問題)。そこには、そのアーティスト(と呼んでいいのか分からないけど)の持ち味が含まれていない。倉木麻衣があれだけ売れた理由が、「宇多田ヒカルを真似たから」というのはあまりにも短絡的過ぎる。単なるパクリでシングルが100万枚前後、アルバムが300万台も売れまい。
そこには、宇多田ヒカルにはない倉木麻衣の個性があったからだ。その個性とは何かというと、歌詞であったりプロモーションであったり、そのあたりはまた細かく検証する必要がある。たった一つ明らかなのは、宇多田ヒカルも倉木麻衣も似ている部分こそあれ、曲自体は全く別物だということだ。「Automatic」と「Love, Day After Tomorrow」は同じ曲だろうか。「Movin' on without you」と「Secret of my heart」は同じ曲だろうか。
要は、そこなのである。どこか1点でも倉木麻衣のオリジナリティーがあり、そこに惹かれてファンはCDを買った。もしも倉木麻衣が宇多田ヒカルと全く同じ曲を歌っていたら、売り上げは変わっただろう。
パクリだなんだと言っても、倉木麻衣の曲は倉木麻衣の曲なのである。真似た部分もあったかもしれないが、彼女の曲にしかない部分も確実にあった。近田春夫氏は、倉木麻衣の「Never Gonna Give You Up」を聴いてこう語っている。
「倉木麻衣が宇多田ヒカルより人気があるとしたら、その理由はひとつ。似たようなものならサービスの良い方に人は行ってしまう、ということだろう」「宇多田ヒカルの音に含まれている、ある種の苦みのようなものが、彼女のCDにはないのだ」「いわゆる和製R&Bに見切りをつけたかのような、軽さがこの曲にはある」「宇多田ヒカルそのヒトが好きなのではなく宇多田ヒカルのような音楽が好きなヒトならば、訳もなくこっち(倉木麻衣)を選ぶだろう『迫力のとっつきやすさ』がこの曲にはあるのだ」
結局この世界では、「売れたもの勝ち」なのである。
しかしこの「パクリ」は、どの音楽にもあることではないだろうか。奥田民生がビートルズをパクったという話は有名であるし、L’Arc〜en〜Cielが山下達郎の曲をパクったことがあると本人たちが話してたことも耳にしたし、この手の話は挙げたらキリがないと思う。
ではなぜ倉木麻衣だけがあれほど非難されなければならないのかと言えば、それは境遇とタイミングがあまりにも宇多田ヒカルと一致していたからではないだろうか。先にも述べた全米デビューという境遇。1年違いのデビューというタイミング。あとは、日本一のアルバム売上を誇る「宇多田ヒカル」というビッグネームの影響もあるだろう。
その意味で、倉木麻衣はかなり目立ってはいたが、彼女だけ「パクリだパクリだ」と非難されるのはおかしいと思う。
そもそも、パクリのない音楽のほうが少ないのでは? と思えるほど日本の音楽ではパクリは常套手段だと思う。よって冷静に考えれば、倉木麻衣の「パクリ」うんぬんは、そう大騒ぎするほどのことでもない。むろん、矢井田瞳やヒスブルについても同様のことが言える。
あと、両者(宇多田ヒカルと倉木麻衣)は歌詞の内容がけっこう違う。いずれそこらへんのことも話せればと思う。